めっさ久しぶり。


これからすっごい久しぶりに友達と出かけてきます。某大学まで。合宿で知り合った友達の大学祭なんで。いやぁ、んでも服がねぇっぺや。どないしよう。皆お洒落だよね。オラ、化粧するのもめんどくせぇ奴だからよ、ういたりしねぇっぺか(←誰?)
暖房つけすぎで気持ち悪いけど、シャワー浴びてすっきりしてきます。あ〜なんか久しぶりに会うから楽しみ。付き合いが果てしなく悪い為、地元の子とどっか行くのも久しぶり。外に出るのが仕事だからじゃないって、意外といいものね。


どうなんやろ。

大学祭にて。運命変わった気がする。なんか今までの考え方全部、変わった気がする。
ぶっちゃけて言うとそこは某宗教の大学なんですが(って言うとすぐバレるね)、私は全くもってそんなことは知りませんでした。普通気付くかもしれないけど、今日聞くまで友達がその宗教に入ってることも知らなかった。
うちは宗教に入ってないし、身近に入ってる人も知る限りはいなかった。だから宗教がどんなものなのかは漠然としたイメージくらいでしか認識していなかったし、それによる先入観でまぁはっきり言えば嫌悪感を抱いていた。
だけど、なんだろ。なんか違ったんだよね。
友達が入ってるサークルが、"人の幸福について"みたいなテーマで色々書いたものを展示していて、それを色々見てまわった。結婚が幸せ?金持ちが幸せ?欲しいものが手に入ることが幸せ?とか、あとは人生とか色々。偉人さんお言葉とか。本とか新聞とかがあった。
なんだろ。別に今日触りを知ったくらいの宗教に今入るつもりはこれっぽっちもないけど、なんか感動した。言葉の一つ一つ、想い、生き方。欲しかった言葉、全部書いてあるようで泣きそうになった。多分、死にたくなるくらいの絶望感を感じたことのない人には"ああ、いい言葉だな"ぐらいで終わっちゃうと思う。その言葉に入り込めないから。綺麗事ばかりのいい加減なものだ、って。でもなんでだろ。辛い時のこと思い出すと、泣きたくなるほど嬉しい、支えになる言葉ばかり。多分、言葉を見た時に一人きりだったら、泣いていたと思う。
そこの展示会では言葉が抜粋されているだけで、その全文は長すぎて展示されていなかったんですよね。で、私はそれが残念だった。すっごく感動した言葉、もっともっと知りたかったから。
そしたらそこの大学の(学生さんじゃないっぽい)人がですね、わざわざ全文パソコンからコピーしてもう会場の外に出てた私達を追いかけて渡してくれたんですよ。忙しいのに文句も言わず、笑いながら。
別に頼まれているわけでもないこと。勿論見返りだって何もないし、たくさんの人が来てたから相当忙しかったはずなのに。見ず知らずの他人にそれを届けるためだけにコピーして走ってきてくれた彼女。自分には真似できないと思った。
他にも、言葉に感動した私がそれらが掲載されている本を買おうとすると、つい数十分ほど前に知り合ったばかりの友達の先輩が友達と二人で二冊本を買ってくれた。理由は"感動した私の言葉に感動したから"と"これを見た後、自分なりにこの本を好きになってもらいたいから"だったという。決して安くないんですよ、本。なのにそれだけでポンと買ってくれた人達。きっともう二度と会うこともないのに。何かお返しを貰うこともないだろうに。
それらが凄いと思った。それがその宗教の教えなんかは知らんけど、そんなことを平気でやってのける彼女達を尊敬した。他人に対しての見返りを求めない好意。簡単に言えることだけど、行動に伴わせるにはあまりに難しいそれ。私にはできない。少なくとも今の私には。
上手く言葉にできない。それだけ私は感動したということ。今日あの言葉達に会えてよかった。学祭に行く、っていう些細なこと。でもそれは私にとってこれから先の人生を左右するかもしれないものに巡りあわせてくれた。それが今、嬉しくて仕方ない。
心の底からありがとうを言える人。心の底からのありがとうを聴ける人。そんな人に、私はなりたい。